ALS・臨床考察
ALSとヘルペスウイルスの関係を、ボスチニブ研究から考える
ALSの経過を見ていると、疲労や感染症をきっかけに「以前より動きにくくなった」と感じることがあります。こうした変化に、体内に潜んでいるウイルスの活動が関わる可能性はあるのでしょうか。
ボスチニブには、ALSの神経細胞を対象とした研究と、ヘルペスウイルスの一種を対象とした研究があります。ただし、この2つが存在することだけで「ウイルスを抑えるからALSに効く」とは判断できません。それぞれの研究で確かめられたことをもとに、この仮説を考えます。
臨床での疑問と、原因を確かめる難しさ
この考察の出発点は、ALSの方の経過と、ヘルペスの再発に関わる条件に共通点があるのではないか、という臨床での疑問です。体調を崩した時期と機能の低下が重なると、その間に何が起きていたのかを調べる意味があります。
ただし、ここで述べる観察は、ウイルス検査を継続して行い、比較する集団を設けた臨床研究の結果ではありません。「時期が重なった」という観察と、「ウイルスが進行を引き起こした」という因果関係には、まだ隔たりがあります。
疲労、睡眠不足、感染症、加齢は、ウイルスだけに関係する条件ではありません。呼吸、栄養、活動量なども一緒に変化し得ます。また、ALSに伴う体調の変化が先にあり、そのために疲労や睡眠の問題が目立った可能性も考える必要があります。
| 気づいた変化 | そのままでは判断できないこと | 確かめたい内容 |
|---|---|---|
| 体調不良のあとに動作が難しくなった | ALSそのものの進行か、体調不良による一時的な低下か | 回復後の状態、呼吸・栄養・感染症、同じ条件での機能評価 |
| ヘルペスの症状と機能低下の時期が近い | ウイルスが運動神経の障害を起こしたか | 感染の診断、時間的な順序、他の原因、繰り返し観察した結果 |
| 治療後に状態がよくなった | 特定の作用による改善か | 併用治療や日内変動、測定条件、適切な比較 |
患者さんの実感は、診療でも研究でも大切な情報です。その実感を原因の説明に結びつけるときには、別の説明が成り立たないかも検討します。
ヘルペスウイルス
「ヘルペス」は、ひとつのウイルスの名前として使われることがありますが、医学的には複数のウイルスを含むグループです。口唇ヘルペスで知られる単純ヘルペスウイルスと、帯状疱疹を起こす水痘・帯状疱疹ウイルスは別のものです。[5][6]
| 名称 | この記事との関係 |
|---|---|
| 単純ヘルペスウイルス(HSV) | 口唇・性器ヘルペスなどに関係します。後述するKSHVの実験結果を、そのままHSVに当てはめることはできません。 |
| 水痘・帯状疱疹ウイルス(VZV) | 水痘のあと体内に残り、再活性化すると帯状疱疹を起こします。 |
| カポジ肉腫関連ヘルペスウイルス(KSHV) | この記事で紹介する、ボスチニブの抗ウイルス作用を調べた細胞実験の対象です。 |
潜伏感染と再活性化
潜伏感染とは、感染したウイルスが体内に残っている状態です。再活性化は、そのウイルスが再び活動することを指します。HSVでは病気、日光、ストレスなどが症状の再発に関わることがあり、VZVの再活性化には年齢や免疫機能が関係します。[5][6]
ただし、ヘルペスが再発したことだけで、ALSの運動神経内でも同じウイルスが活動しているとはいえません。皮膚の症状と、脳・脊髄にある運動神経の病変は区別して調べる必要があります。
脳に入る可能性と、ALSの原因であることは別の問題
血液脳関門は、血液から脳へ物質などが移るのを制御する仕組みです。「病原体が絶対に通れない壁」と考えるのは適切ではありません。一方で、ある感染症が神経系に影響することと、ALSの発症や進行を説明できることも同じではありません。
この仮説では、ウイルスの名前だけでなく、どの組織・細胞に、いつ、どのような状態で存在したのかが問題になります。「体内にヘルペスウイルスがいる」という情報だけでは、運動神経への影響まではわかりません。
ボスチニブ
ボスチニブは、細胞内で情報を伝える酵素の働きを抑える薬です。ALSの研究では、Src/c-Ablという経路に着目し、神経細胞を保護できるかが調べられてきました。研究の出発点は、ヘルペス感染への治療ではありません。[1]
iPS細胞を使った研究
2017年の研究では、ALS患者さん由来のiPS細胞から作った運動神経で薬を調べ、ボスチニブなどのSrc/c-Abl阻害薬が細胞の生存を改善しました。変異SOD1を用いた実験では、オートファジーの促進や異常な構造のSOD1タンパク質の減少なども報告されています。ALSモデルマウスでは、生存期間がわずかに延長しました。[1]
これは治療候補を見つける重要な結果ですが、患者さんの進行抑制が確定したという意味ではありません。また、これらの結果を「TDP-43が減ったから」「ウイルスが減ったから」というひとつの説明に置き換えることもできません。
患者さんを対象とした研究
| 資料 | 主な内容 | 読み取る際の注意 |
|---|---|---|
| 2022年・第1相試験論文 | 少人数で安全性と忍容性を調べた、非盲検の用量漸増試験 | 効果に関する探索的な結果だけで、有効性を確定できません。[2] |
| 2024年6月・京都大学CiRAの第2相試験速報 | 26人を対象に24週間投与。主要評価項目の達成を発表 | 同時期の無作為化プラセボ群との比較ではなく、過去の試験データなどを用いた評価です。副次評価項目には未達のものもあります。[3] |
| 2024年・第2相試験プロトコル論文 | リアルワールドデータなどを用いる研究計画の説明 | プロトコルは試験の設計を示すもので、結果の確定報告とは区別します。[4] |
第2相試験の速報は進行抑制の可能性を示す情報ですが、比較方法や対象者の条件を踏まえた評価が必要です。下痢や肝機能障害なども報告されており、効果への期待だけで使用を判断できる薬ではありません。[3]
これらの臨床研究は、ボスチニブの効果がヘルペスウイルスの抑制を介して起きたことを証明するものではありません。薬の有効性を調べる問いと、作用の理由を特定する問いを分けて考えます。
仮説を検証するために必要なこと
この記事の仮説は、「一部のALSの経過に特定のヘルペスウイルスの活動が関わり、その活動に薬が影響する可能性があるか」というものです。ALS全体をひとつの感染症として説明するには、根拠が足りません。
以下は、この仮説を検証するために考えられる研究上の課題です。実施済みの研究結果や、患者さんに一律に勧める検査ではありません。
- 対象のウイルスを特定する。「ヘルペス」という大きな分類のままにせず、どのウイルスを、どの検体で調べるか決めます。
- 時間的な順序を調べる。ウイルスの活動が機能低下に先行するか、体調不良に伴って生じたものかを継続的に確認します。
- 別の説明を検討する。呼吸機能、栄養状態、感染症、併用薬、病型などを考慮し、比較する集団を設けます。
- 薬の作用を区別する。ウイルスへの影響と、神経細胞のタンパク質処理などへの影響を、実験で分けて調べます。
- 患者さんにとっての利益を確かめる。検査値だけでなく、機能、呼吸、生活の質、生存、安全性を適切な試験で評価します。
仮説に合う結果と、合わない結果の両方を検討する必要があります。現時点で、この仮説が何年後に証明されるか、進行を防ぐ治療につながるかを予測することはできません。
磁気などの物理的介入について
Cell Healingでは、細胞の電気的な性質やエネルギー代謝という観点から、物理的介入の可能性にも関心を持っています。ただし、この記事で挙げた研究は、当施設の磁気による介入を検証したものではありません。
磁気による介入が、ALS患者さんの神経細胞の膜電位やATPを改善し、ヘルペスウイルスの再活性化を抑え、その結果としてALSの進行を抑制する、という一連の作用は、ここで紹介した根拠からは確認できません。
膜電位は細胞の内外の電位差であり、単純に「高くすれば健康になる」という指標ではありません。体の動かしやすさなどに変化があったとしても、それだけで細胞内の電位、ATP量、ウイルスの活動が変わったと判断することはできません。
物理的介入を評価する場合にも、介入条件と評価方法を明示し、機能の変化、安全性、想定する作用をそれぞれ調べる必要があります。仮説を根拠に、神経内科での治療や呼吸・栄養管理を中断することは勧められません。
患者さんとご家族へ
急な変化を、ウイルスやALSの進行と決めつけない
急に息苦しくなった、痰が出せない、食事や水分がとれない、強い眠気がある、といった変化は、この記事の仮説で説明しようとせず、医療機関へ相談してください。強い呼吸困難や意識の異常がある場合は、救急対応が必要です。
診察時には、「いつから」「何ができなくなったか」「発熱や皮膚症状があったか」「食事・睡眠・呼吸にどんな変化があったか」を伝えると、評価に役立ちます。症状を確かめるために無理な動作を繰り返す必要はありません。
ヘルペスの症状は、その感染症として相談する
口唇などの水疱や、片側にまとまって出る痛みを伴う発疹があれば、医療機関で診断と治療を相談します。HSVや帯状疱疹には抗ウイルス薬による治療がありますが、それとALSの進行を抑える効果は別です。[5][6]
ストレスをなくせない自分を責めない
この仮説から「ストレスを感じたからALSが進んだ」「休めなかった家族の責任だ」と考えることはできません。療養生活で負担を減らすことは大切ですが、すべての体調変化を本人や家族が防げるわけではありません。
治療に関する情報を相談するときは、記事の印象だけでなく、研究名や資料も一緒に主治医へ示してください。ボスチニブや抗ウイルス薬を、ALSへの効果を期待して自己判断で入手・使用することは避けてください。
用語の意味を解説
- 運動神経
- 筋肉を動かすための信号を伝える神経です。ALSでは、この働きが障害されます。
- Src/c-Abl
- 細胞内で情報を伝える酵素に関係する名称です。ボスチニブのALS研究で、治療の標的として調べられています。
- オートファジー
- 細胞が内部の成分を分解し、再利用する仕組みです。培養細胞でこの仕組みが変化しても、患者さんへの治療効果は別に確認します。
- SOD1・TDP-43
- ALS研究で重要なタンパク質です。互いに別のもので、ある実験でSOD1に示された変化を、そのままTDP-43の結果として扱うことはできません。
- 非盲検試験
- 参加者や研究者が、使っている薬を知っている試験です。
- ヒストリカルコントロール
- 過去に集められた患者さんのデータを比較に使う方法です。時期や対象者の条件の違いが結果に影響する可能性があります。
- ALSFRS-R
- 話す、食べる、歩く、呼吸するなど、ALSに関わる日常機能を評価する尺度です。
- ATP
- 細胞が活動する際のエネルギーの受け渡しに使う物質です。
よくある質問
ヘルペスになったことがあると、ALSになるのでしょうか?
感染した経験だけで、ALSの発症を予測することはできません。この記事は、ヘルペス感染がALSを必ず起こすという説明ではありません。
ボスチニブの研究が進めば、ウイルス説も証明されますか?
薬の効果が確認された場合でも、作用の理由は別に調べる必要があります。神経細胞への作用と抗ウイルス作用を区別する検証が必要です。
抗ウイルス薬を飲めば、ALSの進行を防げますか?
ここで紹介した研究は、その効果を示していません。ヘルペス感染の治療が必要かは診察で判断し、ALSに対する使用は研究の根拠と安全性を別に検討します。
なぜ確定していない仮説を取り上げるのですか?
臨床での疑問を、どのような研究で確かめられるか考えるためです。根拠を伴う問いとして提示し、患者さんへの治療効果を約束する説明とは区別しています。
参考文献・公的資料
- Imamura K, et al. The Src/c-Abl pathway is a potential therapeutic target in amyotrophic lateral sclerosis. Science Translational Medicine. 2017. PubMed:原著論文
- Imamura K, et al. Safety and tolerability of bosutinib in patients with amyotrophic lateral sclerosis (iDReAM study). eClinicalMedicine. 2022;53:101707. PubMed:第1相試験
- 京都大学iPS細胞研究所(CiRA). ALS患者さんを対象としたボスチニブ第2相試験・主要評価項目達成(速報). 2024年6月12日. 研究機関の発表
- Imamura K, et al. Protocol for a phase 2 study of bosutinib for amyotrophic lateral sclerosis using real-world data. BMJ Open. 2024;14:e082142. PubMed:試験プロトコル
- WHO. Herpes simplex virus. 単純ヘルペスの解説
- CDC. About Shingles (Herpes Zoster). 帯状疱疹の解説
- Targeting Kaposi’s Sarcoma-Associated Herpesvirus ORF21 Tyrosine Kinase and Viral Lytic Reactivation by Tyrosine Kinase Inhibitors Approved for Clinical Use. 2020. PMC:KSHVを対象とした細胞研究
各研究は記載した公表時点の内容です。この記事は、すべての最新研究や治験の募集・承認状況を網羅したものではありません。
この記事は研究と臨床上の仮説を説明するための情報で、個別の診断・処方を行うものではありません。治療の選択や変更は、神経内科の主治医と相談してください。

